北に向かう

6月、JR東日本に「大人の休日、トクトクきっぷ4日間乗り放題」と云うのがあった。

東北が好きで良く旅行に行くので、友人や知り合いが多い。
一昨年も八戸から宮古まで友達とローカル線の旅をした。
八戸港や海猫神社。宮古の民宿での楽しい思い出、、、、、
震災直後のテレビを胸のつぶれる思いでみる。

「そうだ、東北に行こう!」(あ〜、またJR東日本の宣伝をしてしまった)
何人かの友人に「会いに行ます」とハガキで告げる。

岩手の雫石の友達に会う。
被害は少なかったようで安心する。
いつものように僕の好きな山菜採りを用意して待っていてくれた。
挨拶もそこそこに「みず」と「わらび」を採りに山に入る。
まわりは緑一色、渓流の水がうまい。
収穫物を宅配便で家に送り鶯宿温泉で旧交を温める。
これが何ていったって楽しみ。

一関にはボランティア活動をしている親友Aさんがいる。
震災直後から自衛隊のテントの横でトイレだけ借りて自炊しながらというモサである。

彼の骨休めのために山形の小野川温泉に誘う。
ここは、以前二人で旅したことがある思い出の場所。
その時山奥のSさん一家と親しくなり今も親交がある。
博学のおじいちゃん、美味しいおしんこで迎えてくれる笑顔の素敵なおばあちゃん。
趣味で鯉やフナを飼っていて釣りを勧める陽気な息子さん。
彼のもう一つの趣味がカラオケで夜、宿へ迎えに来てくれ町のスナックへ
  ♪ああ〜米沢の夜は更けゆく...。

(釣を勧めるSさん)
翌日、「藤沢周平の鶴岡に行こう!」と云うことになり新幹線で山形まで
行ったところで豪雨のため運休。
急きょ方向転換して山寺を見物しながら、「がんばっている松島に泊まろうか」
と云うことになる。
しかし仙台まで来て乗り継ぎが悪いことに気がつき松島をあきらめる。
 
山寺で友人Aさん(右)と

 

山好きでもあるAさんはふるさとの栗駒山が最初の思い出の山で、頂上付近に
温泉があるという。
「そこへ行こう、須川高原温泉に行こう」
     この変わり身の早さ。
一関の彼の家に戻り車に乗り換えて2時間かけて山頂を目指す。
あかねの空の下に思ったより大きな須川高原温泉が忽然と現れる。
こんな山奥に若い従業員の人達が笑顔で迎えてくれる。
乳白色のお湯と冷えたビールが疲れた体に心地良い。

早寝のおかげで翌朝4時に起き、朝飯前の散歩に出かける。
まだ汚れていない作りたての空気がうまい。
高山の花や湿原の植物が朝露に濡れて美しい。

 

朝食後は4時間かけて震災地をめざす。
彼が「ここまで来たんだから見るべきだよ....」という。
陸前高田は今彼のボランティア拠点。

道は復興作業の車が頻繁に行きかい、山を抜けると突然、被災地が現れる。

テレビで見るのと....違う。
風や埃や匂い、緑がない、小さながれき一つにも生活の跡
それらががれきと名を変え山をなしている。

彼は写真を一枚も撮ってないという。
撮ってはいけないと思っているのだろう。
彼に遠慮しながら何枚かシャッターを押した。
結局、車から降りることなく、誰にも会わず陸前高田を後にした。

彼はまた何日後にはここへ戻ってくるという。

心から一日も早い復興を願うばかりだ。

(1本残った松。枯れないで)

なつかしく、楽しく、重い
東北の旅でした。